救霊法

救霊法

迷っている方をお救いすることは、この世に生きていらっしゃる方々をお救いすることでもあります。

救霊とは目に見えない世界のことですから、人には理解されにくいことですが、この社会には現代医学、科学でも理解できないような、精神病や精神異常などが少なくありません。

とくに近年は異常犯罪や少年犯罪は増えています。精神病なら何何病と名前を付けて解明したつもりになっていますが、それでも完全な解決は難しい問題になっています。

本当のところ、あらゆる波動がゴチャゴチャになって、ちょっと油断すると変な波動に影響されて、妙に寂しくなったり、イライラしてみたり、人を傷つけたくなったりするのです。

その中にはもう既に亡くなっているのに死の自覚さえできず、まだ霊界に行けずに、幽界あたりでさまよっている霊の方々があります。

生きているのと死んでいるのとの区別のつかない方たちが地上に未練を残し、自分で消化しきれない思いを生きている人間に取り憑いて果たそうとするのが、様々な事件として現れることがあります。

それに対する今日までのこの社会の認識も対策もあまりにも不十分すぎて、一人一人はこうした影響から無防備であると言わざるをえません。
だから、生きている私たちがこういうさまよえる意識帯と同通しないように常に油断せず、心を正しておくことを、日頃から心がけなくてはなりません。

ただ、どうしても目に見えない世界のことであるがために今のところこの三次元の世界では、なかなかこの想念エネルギーの浄化の必要については、その重要性が理解されていないというのが残念ながら現状です。

私たちが生まれてきて肉体を頂いて果たすべき目的の一つに、見えない世界の方々をお救いすることにあることも忘れてはならないと思います。

見えない世界の方を救わせて頂くその方法は「救霊」といってます。敢えて「除霊」とか「浄霊」と呼ばないのには理由があります。それは悪霊退治のイメージとは正反対のものなのです。

「悪霊よ、退散しろ!」とか「静まれ」とか「おのれ迷うたかっ。夜叉と化したおまえにはこれ以上災いをおこさせまじ」などと力づくでやってしまうと、行者が九字でも切って験力を使って、いかにも汚らわしく低級な不成仏霊を最大の憎しみをこめて追っ払うみたいになってしまいます。

むしろこっちの方が残忍かつ無慈悲な感じで、心が寒くなってしまうという印象があります。サタンと言えども人の子であるという言葉があります。

本当の神様はそんなことをされるでしょうか。神の御心は、私心なし、自我なし、対立なし、つまり、すべては宇宙そのものと、また光そのものと大調和するものです。

もとはみんな神の子である前提のもとに、たとえ今は悪と現れていようが、迷える霊と現れていようが、必ず消え去る、必ずよくなると信じることが救済の第一歩です。

彼らの意識が陥っている誤解や思い違い、仏教なら迷いとか無明とか転倒妄想と呼ぶ状態から一心に真実を説いてさしあげることにより、その魂を救済させて頂くのです。

愛の光と言霊の響きをもって、どんな魂の方も分け隔てなしに、心の苦しみの世界からお救いするのが愛ある方法です。万霊済度の方法と思います。

長尾弘先生の書籍「真理を求める愚か者の独り言」の中の救霊法より抜粋しました。