霊障とは

●誰もが幸せになりたい
私たちがこの世に生まれる前は、あの光り輝く天上の世界にいました。
その世界は光の量の世界であり、魂のレベルに応じて幾層にも分かれており、それぞれが同じ魂の段階の世界で暮らしていたのです。
同程度の魂レベルですから、意見の違いが少なく、それだけに諍いもありません。
愚痴を言う事もなく、人様の悪口を言うこともなく、さして腹が立つ事もありません。
天上界は安らぎと幸せに満ち溢れた世界ですから人間関係で切磋琢磨する事がなく、それだけに魂の成長が出来ないのです。

しかし、この世に肉体を持って生まれますと、さまざまな段階の人と交わらなければなりません。
慈悲心少なく、魂レベルが低い方がおられれば、神仏の様に慈愛に溢れた方も共に暮らしているのが私たちの住むこの地上界であり、物資化現象世界です。
それだけに人との交わりの中で患難辛苦を体験しなければならないのです。

それが魂の修行であり、厳しい人生を体験する事によって魂がより向上する様に作られているのですね。
だから魂の修行の為にこの世に生まれて来ました。
お釈迦様は言われたそうです。
この世は生老病死の四苦八苦であると。

苦海の中で人生航路を渡っていく事に意義があるのです。
楽しい事よりも辛く苦しい事の方が遥かに多いのです。
だから私たちは幸せだったあの頃・・・・・、
安らぎに満ちた暮らしをしていたあの世への望郷の念があるのです。

魂のノスタルジーですね。

それがあるから人は誰でも幸せを求めるのです。
先にも書いた様に、私たちは魂の修行の為にこの世に生まれてきたのですが、もう一つあるそうです。

それは見えない世界の方を救わせて頂くことです。

魂修行と諸霊の救済。
この2つが人生の一大命題だそうです。

では見えない世界の霊的存在の方はどうかと推測すると、矢張り私たち生きている人間と同じく、すべての霊が等しく幸せを求めている筈です。

ところが幸せになれないのです。

●人間はタチの悪い霊
幸せになれたら心の故郷である極楽浄土へ帰れるのに、帰る方法が分からないでおられるのです。
だから「助けて下さい」「苦しいよー」と言って人にすがってくるのです。

人に災いを起こそうとしている訳ではないのでしょうが、中にはそうではない場合もあるそうです。
しかし、見えない世界の多くの方はただ幸せになりたいだけなのです。

幸せになりたいのにそれを私たちは「怖い怖い」と言って差別します。
テレビでは神霊スポットとかの番組を作って興味を募らせます。

見えない世界の方を弄んでいるのです。

霊能力を受けて利用したりします。

「ここからこっちには入って来ないで」と言って塩を置いたりして結界をはったりします。これは明らかな差別です。

或いは祀りあげたりします。
何故祀り上げるのか?

それは見えない世界の方が神や菩薩と称して人々から祀られたいからで、祀られる事によって救われると勘違いしておられるからです。

神社然り、八百万の神然り、氏神様然り。

お稲荷様

私たちは、幸せになる事が出来なくて暗い世界におられる方たちに対して憑依現象だと言って恐怖に慄いたり、時にはお祓いをしたりします。
「あっちへ行けっ」と言って追い払うのです。
これも差別です。
差別をするから霊障が起きるのは当然の事です。

あまりにも可哀想ではありませんか、見えない世界の方たちが。

「人間は一番タチの悪い霊です」と長尾先生は言われました。
私は見えない世界の方がどんなに幸せを求めておられるかを数多の体験によって知りました。

そして、どんなに差別されたり、誤った認識をされているかを知り、その事を思うと涙が溢れそうになるのです。
人は誰もが幸せを求めている。

今、この地上界で生きている私たちも、亡くなられて暗い世界におられる方も等しく幸せを求めているのです。
だからこそ見えない世界の方たちを利用しない事、依存しない事、決して差別をしない事です。

今生きている私たちは肉体を持った霊であり、亡くなられた方は肉体のない霊です。
本質は皆んな神の子であり、霊そのものなのです。

その霊を利用したり依存したり差別をしているのが私たちなのです。
ではどうしたらいいか。
どうしたら見えない世界の方に幸せになって頂いてあの光り輝く天上の世界へ帰って頂けるのか。
それは救霊法です。